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子供たちが暮らす町のことをより深く知るために。スタッフの決意と想い

南三陸町の学習支援スタッフとして入職した黒﨑若葉さん。移住先の子どもたちのことをいち早く理解したい想いがあり、今回南三陸町で開催された学会に参加しました。
その様子を南三陸町の風景を交えながらお届けします。

志翔学舎で子どもたちをサポート


早いもので、私がキッズドアに入職してから1ヶ月が経ちました。

入職を機に南三陸町に移住してから1ヶ月。
まだまだ分からないことも多い日々を送っています。


この期間に私が配属された志翔学舎のある志津川高校では、前期期末考査や英検、体育祭などの行事がありました。
都度真摯に向き合って取り組む子供たちの姿に励まされています。


志翔学舎にやってくる子供たちは十人十色。

利用する目的もそれぞれですが、どの子も高校生活という限りある三年間を一生懸命に過ごしていることが肌を通して伝わってきます。


勉強のこと、先生や友達のこと、将来のこと。
子供たちは常に揺らいでいて、成功も、失敗も、ままならなさも、青春のすべてを味わいながらこの町で暮らしているんだなと志翔学舎に差し込む秋の日差しとともに感じています。

志津川高校の敷地内にはモアイ像がいます。

そんな折、町で【南三陸いのちめぐるまち学会】が開催されると聞き、子供たちが暮らす町のことをよりもっと知るために参加しました。

第1回目の開催となる学会は、「いのちめぐるまちの現在とこれから~ネイチャーポジティブで目指す豊かさ~」というテーマで、10月15日、16日の二日開催されました。

南三陸町のカキ養殖は日本初のASC国際認証を取得するなど、自然と共存する街づくりを行っています。

一日目は地元の方や国内さまざまな地域から参加された方々と南三陸という土地について環境や生物多様性、時には文学的な背景にも着目しながら学びあい、知識を深めあいました。

二日目は「過去と未来をつなぐ旅」と題して、さんさん商店街やこの10月1日にオープンした道の駅の横にある祈念公園を歩き、11年前の震災当時を振り返りました。

南三陸311メモリアル

この二日間、それぞれの会場で志津川高校生を見かけました。
学会に参加し自らの研究を発表する生徒。
チリ領イースター島での山火事を受け、損傷したモアイ修復のための募金活動に町内各地で勤しむ生徒。

土日にもかかわらず制服をまとい、大人にも引けを取らず、凛とした姿の高校生たちに私は、はっとさせられました。

学会大会の最後に、OSTで次回学会大会のテーマについて議論が交わされました。

誰もがこの土地を後世に残したい思いでそれぞれの活動を報告しあった後、話題の中心にいたのは今の子供たちでした。

果たして50年後の未来、子供たちにどのようにしてこの町を残していくのか。

議論に結論は出ませんでした。それでも「50年後のニーズはわからないけれど」「今、できることをやっていこう」という意見が多くみられました。

学会での発表に、イースター島への募金活動。
志津川の高校生として、今できることを一生懸命にしている子供たち。

 であればこそ、私も「今、このとき」を大切にしていこう。そう強く思いました。

さんさん商店街でイースター島火災の募金活動をする志津川高生

子供の「今、このとき」を大切にしなさいと、大学で保育を専攻して学んでいたときに教わったことが、変わらずに私の中でいきています。

今回の学会参加を通して、南三陸という子供たちの暮らす街の全貌がみられたのは良い経験でした。
そして、子供と町、社会をつなぐステートメントとして、初志貫徹、私は子供たちとともに今できることに挑戦し続けていこうと思います。


9月に入職して1ケ月余り。日々の業務に慣れることだけでなく、地元の町についても積極的に理解し行動していく姿は、志翔学舎の生徒たちにもポジティブな影響を与えてくれるかと思います。
  
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